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みずこうメールマガジン 第1431号 天皇陛下が初めて国民と接した日1
******様 お元気でご活躍のことと思います。
≪母校近況≫
=中学生、合唱コンクール= 11月29日(金)に中学生の合唱コンクールを開催しました。生徒たちは練習の成果を発揮し、素敵な歌声がホールに響きました。 保護者の方々にもご来校いただき、生徒たちの成長した姿を見ていただくことができました。 ⇒https://www.mz.reitaku.jp/reitaku-info/reitaku-info_3663/ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『日本講演新聞』2024年9月23日3041号で、戦後ジャーナリストの佐波優子さんが皇居奉仕がどのように始まったかについて述べていました。前回の続きです。
奉仕作業は3日間だったのですが、その初日のお昼です。陛下が来てくださることになりました。その時のことを木下侍従次長は、著書『新編宮中見聞録』にこう書かれています。
「私は御座所から現場までの数百歩の道すがら、焼土の上に歩を進められる陛下のお心の内をあれこれと、お後ろにお供しながら考えた。ザックザックと砂を踏んで一歩また一歩、現場に近づかれるお靴の音は、まさに日本歴史の大転換の歯車のきしる音としか思えない。国民と共に語り、共に苦しみ、共に楽しまんとの御決意は、すでにご即位の時から明瞭に、我々おそばにお仕えしているものには拝察できたことだったにかかわらず、いろいろな事情のために、その実現はできなかったが、奇しくも国破れた今日、陛下はその機会を掴まれたのだ」
「国民と共に歩みたい」と、そうご決意された陛下でしたが、戦時中は陛下が国民から遠い御存在となっていきました。ところが「みくに奉仕団」が皇居に来てくれたことによって、陛下はその機会を得られたんですね。
そして木下侍従次長はさらにこう書かれています。 「陛下は、宮殿の焼失など露ほども惜しいとは思っておいでにならないに相違ない。ただ夜となく昼となく常にお胸の内を去らないものは、アジア大陸の各地、また太平洋の島々に取り残された未復員の将兵、同胞の安否、国民各家庭の悲惨辛苦のことだ。今日、はるばる仙台の奥から手伝いに来てくれた青年たちにお会いになる、こんなことが皇居内で行われるとは、今までかつて前例のなかったことだが、少しは気が晴れることだろう」
以上、引用でした。
ご即位の時から、国民と共に語り、共に苦しみ、共に楽しみたいとの御決意がおありながら、戦前、戦中とその思いは叶わなかったようです。それが「みくに奉仕団」のお陰で、やっと国民とお話ができる。どんなに嬉しかったことかと想像します。次回、続きをお楽しみに。
(文責 谷渕篤孝)
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2024年12月13日(金)
No.1389
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